yuan² は、中国語で "元" の発音(pinyin)です

日常のつぶやき + 会社での出来事 + 奥様観察日記

皆さん最近、コメント欄を承認制にするのが流行ってるようなので、私もコメント欄をゲスト可の承認制にしてみました \(^o^)/

なぜ子どもを作るのか?

本日、記念すべき1週年記念のブログエントリーでして、何を書こうかいくつか候補はあったのですが、かと言って何も準備はしておりませんでした。

とにかく「自動更新だけは無いように」と思い、ブログ書く時間だけは作ろと決心しておりましたところ、都合よく本日ちょこっと出張が入りまして、行き帰りの新幹線の中でおよそ書く事が出来ました。チラチラと秘書子7号が覗き込んで「なにしてんですか?」「なにしてんですか?」とウルサイのだけが大変でしたが・・・

 

タイトルの「なぜ子どもを作るのか?」これずっと昔、中学生くらいから不思議でした。さすがに小学生の頃はそんな疑問を持つような事は無く、学校から帰ると野山を駆け巡り、お腹が空いたら家に帰り夕飯食べて寝るだけでしたからw

 

さて、結婚とかそう言うのも抜きにしまして、動物って子どもを作るじゃないですか?植物の場合は子どもとはちょっと違いますよね。

野生動物の場合、子どもを作ると外敵から身を守る術を持たない子どもを守りながら生活せねばならなくなり、非常にリスクです。人の場合も、子どもを育てるためには時間もお金もかかり、子どもなんて育てない方がよっぽど充実した人生を送れると思うんです。趣味に時間もお金も掛けられますし、女性の場合には特に、出産育児で仕事のキャリア一切を捨てる事になる方も大勢おられます。 

 

子どもを作り育てる事で得るものってなんでしょう?そこに「なぜ子どもを作るのか?」の理由と、最近の少子化の原因が隠されているかと思います。

動物は種を守るために、それこそ本能で子どもを作るのでしょう。ところが人間は、動物的な種を守るよりも、作り上げてしまった社会システムを維持するため、子どもを作るしか選択肢が無くなってしまったんだと思うんです。その社会システムには、若い世代が老人世代を支える年金システム、道路や建築物などのインフラを維持するための技術や労働力、病に掛かった者を治療し看護する必要など、他にもまだまだ多くの有形無形を問わずございます。

当然に動物の世界では、老後は朽ちて他者の口に入り、インフラなど必要とせず、医療もまた舐める程度の事しかもともと術を持っておりません。人間の場合、子孫を残すようにDNAに刻まれているとか、本能とか、もうそう言う事では片付けられないようになってきております。

 

我々が住む日本は、民主主義であり資本主義国家です。よく、民主主義と資本主義は同義にされますが、社会運営の方法が民主主義と社会主義、経済活動に対して資本主義と共産主義であり、現代では中国やベトナムのような社会運営の方式は社会主義だが、経済活動に対しては資本主義化している国は割と多く存在しております。逆に、民主主義だけど共産主義と言う国は無く、これは社会運営が民主的に行われた場合に共産的な労働方式の導入が事実上不可能なためです。病気になっても老いたとしても、高度に発達した医療システムや年金システムにより、社会主義国家などよりもっと高いレベルで社会から支えてもらえます。

つまり、病気の人や老人が居ても、家族だけで支える必要が無いんですね。逆に言えば、子どもが成人した際に自分の親や親族だけで無く、社会全体を支える必要があり、全体の奉仕者になってしまっているんです。なんだか、民主主義が高度に発達したために、社会主義に戻っているような気がしませんか?

 

高度に成長した資本主義で、日本経済は世界でもトップレベルの地位に君臨しているのは紛れもない事実です。GDPで中国に抜かれても、あれだけ人口の多い国と比較する方が間違ってますし、よくFX専業(id:fxse)さんが「日本円は、一国の意思だけでコントロール可能な世界最強の通貨」と言っているように、世界中の基軸通貨であるドルを発行するアメリカは、自国の利益だけで金融政策を極端に変更出来ず、ユーロに至っては意思の統一すら不可能な状態ですw

そんな高度な資本主義を追求した日本、世の中ではよく「貧富の差」が取りざたされております。お金儲けが間違っているかのように言われる事もしばしばでして、頑張った者もそうで無い者も関係なく、平等こそが最も正しい事かのように言われる事も多く、まるで共産主義が正解のような言われようです。

 

核家族化が進んだ高度成長期時代を過ごした我々の親の世代、社会全体で病気や老人を支える仕組みが完成しました。都会で働き、田舎の両親は社会保障で老後を過ごす。それを目の当たりにした我々の親の世代から、子どもに直接支えられて老後を過ごすお年寄りを見ていないんです。余計に、我々の世代は見る機会が無いでしょう。

子どもを育てて、大きくなった自分の子どもに支えられると言う仕組みを放棄した以上、子どもを作る必要性を感じなくなっても仕方ありません。また、もし自分の子どもが、世の中を支えるための全体の奉仕者としてだけ求められるとしたら、子どもを作りたいと思わなくなるでしょう。

 

長く考えていた「なぜ子どもを作るのか?」と言う疑問、実は現時点でも到達しておりません。逆に、影に隠れていた、もう一つの課題「少子化の原因」に関しては、なんとなく結論に到達したような気がしております。

行き過ぎた民主主義と資本主義により共産主義化が発生した事によって、子どもを作る必要性を感じず、また子どもを作りたいと願わなくなった。

もうじき生まれてくるであろう我が子を今後育てながら、長年考えていた「なぜ子どもを作るのか?」と言う疑問、この世に生を受けているうちにたどり着ければいいなと、そう願っております。

 


 

と、言うことでして、1年間欠かさずブログを更新すると言う目標が達成できました。自分で決めた事は必ずやり通すといつも心に誓っておりまして、それでも結婚するとか一人で出来ない事は仕方ないんですが、それは昨年達成できましたしww

1年やってみて、正直「ブログのネタを探すようになった自分」がおりました。ただ、それは悪い事では無く、普通は漫然と過ごしてしまうような当たり前の生活に、何かを発見する切っ掛けを与えてくれたような気がします。

とりあえずは、今後も今までと同じような感じで更新はして行くかとも思いますが、連続更新日数に特に拘る事無く、気楽にやって行きたいと思っております。 

 

今日の更新、この「なぜ子どもを作るのか?」にするか、もう一つ「訴状」のような様式で「ある事」を書いたのですが「との判決を求める。」と言う部分が、求める内容があまりにも恥ずかしいのでボツりましたww

 

もしかしたら、そのうちお目にかけるかもしれませんがw

 


 

仕事帰りに病院へ寄ってきたのですが、病室内が牛丼の匂いで充満しておりましたw

うちの奥様、妊娠初期の頃から「牛丼食べたい」「牛丼食べたい」と言っておりまして、一時期は朝昼晩と牛丼のような生活をしており、でもカレーも今まで通り食べたいので牛カレーですw

 

病気で入院しているわけでは無いので食事制限は無いのですが、もう下から胃が圧迫される程になっているため、基本的にはごく少量しか口に出来ません。最近では、口から栄養を経口摂取するのが厳しくなってきていたので、点滴で栄養を補給すると言う事で太い点滴の針を刺してまして、見るからに可哀相でした。なんか、栄養を補給できるほどの点滴のチューブですと長時間入れっぱなしに出来ないらしく、たまに場所なんか交換してまして、余計に可哀相です。

そんな状態ですので、牛丼と言ってもほんの一口しか食べることが出来ませんが、その代わりにダラダラとずっと食べて続けておりますw ほんの僅か胃が空いたら口にするような感じでして、何もそこまでして食べなくてもとも思うのですが・・・

 

これはきっと、いや絶対、牛丼大好きな子どもが生まれてくるに違いありませんw